翻訳家による翻訳できない言葉の話

日本語と英語の狭間で呻吟し、言葉を超えたものに思いを馳せる翻訳家のエッセイ

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2年で日本語が堪能になったアメリカ人(4)


 ユニークな方法で日本語を勉強してきたJさんに、勉強法のどこを後悔しているか訊いてみました。

 まず、最初の数か月は簡単な文法を、英語の説明を読みながら学びたかったとのことです。なにしろまったく日本語の構造がわからないままに、暗号でも解くように日本語と格闘したので、ずいぶんエネルギーと時間を無駄にしたと感じています。英語を使わずに日本語で日本語を学ぶということに、それほどこだわる必要はなかったのではないかとのことです。

 ただし、文法を英語で説明している教科書を使って学びたかったという意味ではないそうです。教科書というより、むしろ参考書のようなものがほしかったと感じています。日本語の文法事項を英語で説明してある参考書を足がかりにしながら、日本人が書いたブログやYahooの知恵袋などを読めば理解が早かったにちがいないというのです。

 たとえば、「学生だ」「犬だ」「元気だ」といったような、ごく単純な文章の構造と意味を学べば、日本人のブログやYahooの知恵袋を読むときに、同じ構造の文章を探して、その意味を理解することができます。

「~だ」を理解した学習者にとって、「ボブは学生だ」「あれは犬だ」「母は元気だ」という文章は、学習者がすでに知っている内容に新たな項目が一つつけ加わっているわけですから、いまの自分の日本語力を一段階上に引き上げてくれるn+1の教材と言えるでしょう。参考書を見なくても意味が推測できればそれでかまいませんし、推測できなかったら参考書の英語の説明を見て、「~は~だ」の構文を理解します。

 文法の学習は全体の2パーセント程度が適当ではないかと、Jさんは言っています。

 学校で外国語を学ぶとき、学習者は「ボブは学生だ」「あれは犬だ」「母は元気だ」という文法を教わります。そして、そのような例文と同じ文法的構造の文章を作ろうとします。

 lang-8にはそのような学習者の日本語があふれています。たとえば「天気」という言葉と「いい」という言葉をすでに習った学習者は、「天気はいいだ」というような文章を作ったりします。あるいは辞書を引いて、「僕は疲労だ」と書いたりします。tiredを辞書で引くと、「疲労」と書いてあったのでしょう。日本人もこれと同じような英語の学び方をしているような気がします。

 Jさんのように、ネイティヴが書いたり話したりする文章を理解する道具として文法書を使えば、奇妙な日本語を作らずにすむはずです。最初に来るのはあくまでもインプットでしょう。ほとんどの人はインプットが足りない段階でアウトプットしようとしていて、見ていると「学び方が逆だなあ」と感じます。

 教科書だけで学ぼうとするのではなく、Jさんが言うように、文法書をちらちら参考にしながらネイティヴの文章を理解しようとするのであれば、文法の解説はきっと役に立つでしょう。

 Jさんがもう一つ後悔しているのは、スピーキングの練習をしなかったことだそうです。フリーカンバセーションをしたことがないという意味ではなく、一度も日本語を声に出してみたことがなかったのです。最初の2年間は日本語をひたすら聴いたり読んだりする勉強しかしませんでした。

 Jさんはとても自然な日本語を書くのですが、自分の書いている文章が正しいかどうか自信がないと言います。また、日本語の文章を組み立てるのにとても時間がかかるとも言っています。これは反復練習をしてこなかったこととも、ひょっとしたら関係があるかもしれません。

 わたしは以前にも書きましたが、NHKラジオの英会話講座で英語を学びました。英語が話せるようになりたいと思っていたわけではなかったのですが、ネイティヴスピーカーの英語を真似して繰り返すことが楽しく、中学高校と6年間、それを続けました。

 会話というのは、それほどむずかしい構造の文章を使わないものです。日常会話でよく使う簡単な表現を、飽きもせずに6年間、毎日15分ほど繰り返したのですから、よく使う文章は当然、頭に刷り込まれたと思います。

 わたしはいまだに冠詞については自信がありませんし、よく間違えます。それでもたとえば、I went shopping yesterdayというような文章は考えなくても咄嗟に口から出てきます。went to shopだろうか、went to shoppingだろうか、あるいはwent shoppingだろうかと、悩むことがありません。on yesterdayだろうか、at yesterdayだろうか、それとも前置詞を使わずにyesterdayだろうかと考える必要もありません。I went shopping yesterdayという文章が正しいことは、文法書で確認するまでもなく、わかっています。

 このような単純な文章は頭に刷り込まれているので、正しいと確信できるのです。反復練習の成果かもしれません。反復練習をすれば、自分の声が頭のなかに響きます。話すと同時に聴いているのです。ほんとうかどうかわかりませんが、自分の声で言ったことは、他人が言ったことよりも記憶に残りやすいと聞いたことがあります。

 わたしは英会話スクールに通った経験がなかったので、イギリスに行くまでは自分で英文を作ったことがありませんでした。ラジオ講座の講師の英語をひたすら繰り返していただけです。ですから、正しい英語しか口にしたことがありませんでした。発音はネイティヴそっくりとまではいかなかったでしょうが、少なくとも文法的にまちがった文章は口にしなかったので、正しい文章を自分の声で繰り返すことは、正しい英文を脳裏に刷り込むことに、おおいに役立ったのかもしれません。

 ただ、文法の知識が、文章が文法的にまちがっているか正しいかを判断するのに役立っているのも事実だろうと思います。I went shopping yesterdayという文章の場合、yesterdayの前に前置詞が来るかどうかということを、わたしはいちいち文法的な知識で判断したりはしません。went shoppingという表現も、フレーズとして脳裏に刻み込まれているので、正しいかどうか考える必要がありません。それでも、過去の話をしているのだからgoではなくてwentが正しいことは、文法的な知識によって裏づけされます。

 文法を学ぶことが外国語を身につける際にどの程度必要なのか、わたしにもよくわかりません。わたしの場合は中学と高校で文法を学んだわけですし、ある程度は役に立ったのだろうと思います。

 2年半前に時間を巻き戻すことがもしできるのなら、Jさんに今度は違ったやり方で日本語を学んでもらいたいものです。もっとも効率的な学習法を採用したら、英語のネイティヴスピーカーは2年でどれくらい日本語を身につけることができるのでしょうか。

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プロフィール

May

Author:May
翻訳家。フリーランスになって24年。出版翻訳専門。京都府在住。

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