翻訳家による翻訳できない言葉の話

日本語と英語の狭間で呻吟し、言葉を超えたものに思いを馳せる翻訳家のエッセイ

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語学が苦手な日本人?

「日本人は語学が苦手だと思いますか?」と日本人に尋ねたら、ほとんどの人が「そう思う」と答えるでしょう。「6年も英語を勉強したのに喋れない」「10年も勉強したのにできない」と嘆く日本人が大勢います。

あるアメリカ人が2008年に日本と韓国を旅行しました。その人は旅行する国の言葉を、いつも少しは学んでから出かけることにしており、韓国ドラマを観ていたこともあって韓国語に興味があり、最初は韓国語を勉強したそうです。でも「日本人のほうが英語ができない」という噂を聞いて、途中から日本語の勉強に切り替えました。

ところが実際に旅行してみると、日本のほうが英語が通じたそうです。ただし、韓国では田舎に行くことが多く、日本ではほとんど都会を旅行したとのこと。都会の人のほうが外国語ができる確率が高いでしょうから、日本のほうが英語が通じたのは、そのせいだったかもしれません。

わたしは京都府北部の小さな町に住んでいます。観光名所のある町ですが、欧米人の観光客はあまり見かけません。それでも、駅員さんは片言の英語が話せます。つい先週のこと、めずらしく個人旅行の白人男性が、コインロッカーの料金を駅員さんに尋ねており、30歳前後の駅員さんが“One hundred”と英語で答えていました。

この駅員さんは「ぼくは英語ができる」と思っているでしょうか? たぶん、思っていないでしょう。むしろ、「ぼくはなんて英語ができないんだろう。6年も勉強したのに、全然話せない」と思っているのではないでしょうか。

コインロッカーの料金を訊かれていることを理解して“One hundred”と咄嗟に答えられることは、英語ができるうちに入らないでしょうか? 20年以上前、あるイギリス人夫婦の知り合いがいました。10年以上日本で暮らし、日本で育った日本語が堪能な息子さんには日本人の婚約者がいましたが、その夫婦は日本語で数を数えることすらできませんでした。

小さな商店の多い京都市内で暮らしていましたし、1980年代でしたから、レジスターに表示される金額を見れば買い物ができる店ばかりではありませんでした。「買い物するとき、どうしてるの?」とわたしが不思議に思って尋ねると、奥さんのほうがこう答えました。「お財布を渡すの。日本人は正直で、お釣りをごまかしたりしないから」

ちなみに、この夫婦は英語の先生でした。日本で10年以上暮らしながら、日本語でお金の勘定すらできるようにならなかったのに、日本人に英語を教えていたのです。外国語の学び方は知らなくても、教え方は知っていたのでしょうか。

この夫婦は極端な例かもしれませんが、長年日本で暮らしても、ほとんど日本語が話せるようにならない英語のネイティヴ・スピーカーはたくさんいます。なぜ彼らが日本語ができるようにならないかと言うと、日本人が英語ができるからです。英語しか話せなくても、英語ができる日本人の同僚、知人、友人、通りすがりの人たち、駅員さん、店員さんが助けてくれるからです。

日本に興味を持ち、日本語を学んで、「もっと日本語ができるようになりたい」と考えて日本に来る英語のネイティヴ・スピーカーの多くが直面する問題が、日本人が英語を話したがることです。学校でも職場でも日本人が英語で話しかけてきて、しかもその人たちの英語のほうが、日本に来た英語のネイティヴ・スピーカーの日本語よりも上手な場合が多くて、結局日本語を使う機会がほとんどないのが悩みの種、という人がたくさんいます。

「でも欧米人は何カ国語も喋れる人がめずらしくないのに、日本人で数カ国語ができる人はまずいない」と言う人もいるかもしれません。たしかに欧米人で「わたしは3カ国語できる」「4カ国語できる」と豪語する人はけっこういます。

わたしはイギリス英語を教える英語学校に勤めていたことがあります。その学校の教師の大半は日本以外の国でも英語を教えた経験があるイギリス人でした。イタリアとスイスで数年間教えた経験がある教師は、フランス語とイタリア語が堪能だと自称していました。ブラジルで教えた経験のある教師は、ポルトガル語がペラペラだと言っていました。ポルトガル語とフランス語ができると言っている人もいました。ところが彼らのなかで、日本語が「ペラペラ」になった教師は一人もいませんでした。「ペラペラ」どころか、何年日本で暮らしても片言の域を出ませんでした。

少し古いですが、『ニューズウィーク』誌におもしろい記事が出ていました。
www.thedailybeast.com/newsweek/2011/08/07/why-it-s-smart-to-be-bilingual.html
以下、引用です。
Bilinguals also appear to be better at learning new languages than monolinguals. London-based writer Clarisse Lehmann spent her early childhood in Switzerland speaking French. At 6, she learned English. Later she learned Spanish, German, and, during three years spent living in Tokyo, Japanese.

拙訳です。「2カ国語が話せる人は1カ国語しかできない人よりも、新しい外国語を学ぶことに長けているようだ。ロンドン在住のライター、Clarisse Lehmannさんは幼少期をスイスで過ごし、フランス語を話していた。6歳で英語を学んだのち、スペイン語、ドイツ語を習得し、東京で3年間暮らしたときに日本語を身につけた」

そのClarisse Lehmannさんはこう言っています。 “In Japanese, there’s no sarcasm. When I tried, it would be ‘We don’t understand what you’re trying to say.’?”

拙訳です。「日本語には皮肉が存在しません。わたしが皮肉を言っても、『なにが言いたいのかわからない』といった反応が返ってきたのです」

日本語には皮肉が存在しない? 興味深い説ですね。初耳です。

Clarisse Lehmannさんの日本語はおそらく片言程度でしょう。それにしても、皮肉を言って通じなかったとき、それを自分の日本語力の低さと解釈するのではなく、日本語には皮肉が存在しないと断定するその大胆さには敬服します。

Clarisse Lehmannさんの日本語力は、これでだいたいわかりました。ちょっと調べてみると、この人は6歳でニューヨークへ引っ越して、その後はおもに英語圏で暮らしてきたようですから、母語は英語なのでしょう。だとすると、この人のフランス語、スペイン語、ドイツ語の能力はどの程度のものでしょうか? フランス語、スペイン語、ドイツ語は、皮肉が言える程度には堪能なのでしょうか?

イギリスの英語学校にいたとき、こんなことがありました。イタリア人二人がイタリア語で話している会話を、イタリア語を学んだことのないブラジル人が、「なにを言っているのか、だいたいわかる」と言ったのです。ポルトガル語とイタリア語はそれくらい似ているということなのでしょう。

英語とその他のヨーロッパ系言語と、英語と日本語の距離を比較すれば、ヨーロッパ系言語をいくつも(どの程度のレベルかわかりませんが)話せる人が、日本語は何年経っても片言しかできないのも、無理はないかもしれません。日本語を習得するためには、同じヨーロッパ系言語を習得する場合よりも、はるかに多くの努力を必要とするでしょうから。

韓国語を学ぶために韓国の語学学校に留学すると、もたもたしている欧米人を尻目に、日本人はめきめき韓国語が上達していくと聞いたことがあります。英語を学ぶためにイギリスに留学して、どんどん英語がうまくなっていくヨーロッパの学生を横目で見ながら、日本人が四苦八苦するのとはまったく逆の現象が起きるのですね。韓国語の構造は日本語に近いからでしょう。

イギリスの英語学校にいたとき、スイスのフランス語圏から来たあるスイス人の英語が、訛りが強くてじつに聴きとりにくく、クラスメート数人が「もっとわかりやすく話して」と頼んだことがあったのですが、そのときのスイス人の反論がけっさくでした。

「きみらがぼくの英語を理解できないのは、きみらの英語力が低いからだ。ぼくは英語をフランス語式に発音している。英語風に発音しようなんて思わない。だって、フランス語式に発音しても、英語のネイティヴ・スピーカーはぼくの英語を理解してくれるから。きみらがぼくの英語を理解できないのはきみらの問題であって、ぼくの問題ではない」

すごいでしょう? 彼は最初から、「英語らしく発音しよう」なんて思っちゃいなかったのです。英語をフランス語読みしていたのですから、わかりにくかったのも当然です。

こんなこともありました。討論の授業で、二人のスペイン人がなにやらまくしたてていましたが、なにを言っているのかさっぱりわかりません。ドイツ語圏から来たスイス人の女性が腹を立てて、「あなたたち、スペイン語はやめてちゃんと英語で話しなさいよ!」と怒鳴りました。するとスペイン人二人はきょとんとした表情で、「え? ぼくたち英語で話してるけど」と答えたのです。ちなみに、上級クラスでした。

こういうことは、けっこうあります。アジアの国の人のなかにも、強い訛りを気にするふうもなく、間違いだらけの英語で早口にまくしたてる人がいます。相手がなにを言っているのか理解できないとき、日本人の多くは、相手の英語を理解できない自分の英語力を責めます。こういうときわたしは、「もっとゆっくり喋ってください」と頼みます。相手が英語のネイティヴ・スピーカーで、訛っていないときでも同じです。わからなければ何度でも聞き返せばいいと思います。わたしたちにとって英語は外国語なのですから。

ベンチャー・キャピタリストの原丈人さんがこんなことをおっしゃっていました。「『世界共通語としての英語』を使うのはいいけど、『母国語としての英語』を使うのはフェアじゃない」
www.1101.com/hara/second/2008-09-10.html

世界銀行の総裁を経験したような人と英語で議論していたとき、相手は原さんの主張を二重否定、三重否定のような英語のテクニックを使って反論してきたのだそうです。原さんは業を煮やして、「これ以上話を複雑にしたいんだったら、日本語でなければ話をしない」と捨て台詞を残して帰ってきたとのこと。結局相手は原さんの怒りを理解してくれたそうです。

上に書いたように、わたしは京都府北部の観光地に住んでいます。日本人にはよく知られた観光地ですが、欧米人の観光客はほとんど見かけません。もっと宣伝すれば、京都市内の観光のついでに、この小さな町まで足を延ばしてくれる欧米人の旅行者はもっといるはずだとわたしは考え、市役所に話をしにいったことがありました。英語のパンフレットを作って関西空港や京都市内の観光案内所に置いたらどうか、英語の公式ブログを始めて、町の見所やお祭りなどを宣伝したらどうか、と提案したのです。ブログの英文はわたしが無償で書くから、とも言いました。

ところが、50代後半とおぼしき観光課の責任者は、「旅館やレストランの従業員もバスやタクシーの運転手も英語が話せないから、外国人の観光客に来られても困る」と答えたのです。この町は観光がおもな産業です。そして観光客は減りつづけています。観光客が多すぎて困っているわけではないのです。町の経済は傾いていく一方なのに……。

観光課の責任者は、「英語がペラペラ」でなければ観光客に対応できないと考えているのかもしれません。個人旅行者がどんなふうに世界を旅してまわっているか、たぶんご存知ないのでしょう。外国を旅行するのに、言葉はそれほど必要ありません。旅館でもレストランでも、片言の英語と電卓と身振り手振りで事は足ります。

そもそも、言葉が通じる場所を安全に旅したいと考える人たちは外国に個人で旅行に出かけたりしません。ハプニングとは無縁に旅したい人たちは添乗員がつくようなツァーに参加しますし、外国人ツァー客の添乗員は外国語が話せます。

「これからはグローバル化社会だから英語は必須」と言う人たちは、どの程度の英語力が必要だと考えているのでしょう? 前回の記事で山中伸弥教授の講演をご紹介しましたが、あれほどの英語力(英語で講義ができる英語力)を必要とする仕事に就く人は稀でしょう。

20年以上前、大手自動車メーカーの海外事業部で、派遣社員として何カ月か働いたことがありました。そのときに、強い日本語訛りの英語で、堂々と交渉する社員の方を何人も見ました。頼もしい姿でした。

要は、通じればいい。仕事ができればいい。英語を使おうが、英語を使わずに身振り手振りですませようが、片言の英語で喋ろうが、日本語訛りの英語で喋ろうが、しなければならないことができればいい。わたしはこう考えていますが、みなさんはどうですか?

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プロフィール

May

Author:May
翻訳家。フリーランスになって24年。出版翻訳専門。京都府在住。

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